カテゴリー: チャイ

2010年10月22日

ペットロスにお勧め本

今日Amazonで予約していた「またね、富士丸。」が届いた。
今か今かと待っていた本。

一気に読んじゃった。
1ページ目から最後まで号泣(^^;

富士丸くんは、「富士丸な日々」に登場し、”日本一有名なブログ犬”と言われていたコ。ハスキーとコリーのミックスで、ものすごく表情豊かで、大型犬大好きなワタシは富士丸くんを見ていっぺんにファンになってしまった。
でも、残念ながらワタシが富士丸くんを知ったのは、彼が亡くなったあとだった。

時々覗いていた犬関係ブログに「富士丸くんが10月1日に亡くなったそうです」とあった。
チャイが旅立った次の日に旅立ってしまったコ。
気になってブログを覗いてそこで初めて富士丸くんに出会った。
そして、そこには富士丸くんの父ちゃんである穴澤賢さんの、苦しみの中からまさに絞り出したような”富士丸の死”の報告があった。
「富士丸を死なせてしまいました」とあった(今はこの報告記事は載っていないみたいだけど…)。
富士丸くんはたった5時間父ちゃんが家を留守にしている間に旅立ってしまった。それまで全然元気だったのに…。
どうしようもなかったことは誰にでもわかる。でも「死なせてしまった」という言葉が、ものすごくワタシに突き刺さった。
富士丸くんの死を知ったのは、チャイが死んでまだ10日も立っていない時だったから。

1日違いで旅立っていったチャイと富士丸くん。
それだけの共通点が、それからのワタシの支えとなった。支えなんて言うとヒンシュクだけど、でも、当時のワタシにとっては、苦しみを共感できる存在が必要だったのだ。
犬と猫との違いはあるものの、その後のワタシはブログの過去ログを読みあさった。本も買った。
ものすごく父ちゃん(穴澤さん)に自分を重ねていった。
共通点を見つけるたび、どんどん勝手に”身近な人”になっていった。職業は家で仕事をするフリーランス、バツイチ、息子(富士丸/チャイ)と二人暮らし、おまけに6月生まれ…。
形を変えてスタートした”父ちゃん”のブログ「Another Days」も、ストーカーのようにこの1年覗いていた。

そして、1周忌のタイミングで出版されたのが「またね、富士丸。」だった。

今ワタシも”1年”という時間がたったからこその読後感なんだろうか?
もしこれをチャイが死んで数日後、数ヶ月後に読んだら、違う感想だったんだろうか?
それはわからないけれど、穴澤さんのこの1年、そして彼の思うところ全てがワタシの気持ちとぴたりと一致して変だけど嬉しかった。
お別れの直後、現実とは全く違う世界に行ってしまった感覚、仕事をすることでの現実逃避、まわりには「もう大丈夫!」と言っていてもやっぱり全然大丈夫じゃなかったこと、自責の思い、ひとりになってしまったという思い、自分が自分でなくなってしまったという思い、お酒に逃げたこと、海外に行ったこと、夢に出て来てほしいと思うこと、遺骨に対する思い、、、、あげればキリがないくらい、「そうなの!そうなの!ワタシが変なんじゃないよね?父ちゃんもそうだったんだよね?」と思うことがあり過ぎ…。

もう少し客観的に見ると、丸くんはあまりにも突然亡くなってしまったし、犬だったからふたりで出かけた思い出もたくさんで、全国にたくさんの丸くんファンがいるという立場はチャイとは多いに違うんだけれど、ペットロスってやっぱりこういうものなんだよな、と、ワタシが異常じゃないんだよな、としみじみ思わせてくれた本でした。

穴澤さんも書いているけれど、やっぱり世間的に「犬が死んだくらいで…」と思われるんじゃないか、って気持ちが、我が子を失った人達を苦しめているんじゃないかなと思う。ワタシも当時は”猫が死んだくらい”で関わっている人に迷惑をかけてはいけない、って気持ちが強くて、人前では「もう大丈夫です」と言っていたけれど、実際は「世界中でもっとも大切な自分の分身がいなくなっちゃった!!!!」って気持ちをずーーっと抱えていた。もちろん今でもその気持ちはあるけれど、今はその混乱の気持ちとは自分なりに折り合いをつけられた、と思う。多くの人の支えがあってこそだったけれど。

チャイが死んで何冊かペットロスの本を読んだけれど、これだけワタシの気持ちにぴったりだった本はなかったなぁ。
ペットロスでもいろいろある。人それぞれ。でも、自分の気持ちに近い人の本に出会うと救われることもある。
ひとりひとりみんな尊い我がコとの心の絆があってのお別れ。ものすごく辛いこと。
我がコを失って「なんのために自分は生きているんだろう?」と思うことだってある。大切な存在は人間だって犬だって猫だって同じ。それはおかしなことじゃない。命って人間でも動物でも、それだけ心を動かす尊いものだから。

だからこれから、そして今ペットロスで苦しんでいる方がいたら、読んでみてほしいな、と思っての紹介でした。
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またね、富士丸。
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2010年09月30日

一周忌を迎えて1:ペットロスについて

1年前の9月30日午前3時5分、チャイはワタシの腕に支えられて息をひきとりました。
あれからもう1年です。もう1年!?って感じ。
9月25日の夜11:20にいきなり心筋症の発作をおこしたわけだけど、先週の25日、同じ11:20が近づいて来て息苦しくなってきました。カウントダウンしていたわけじゃないけれど、時計が11:20をさしているのを見て、やっぱりまた少し泣いてしまった。その後は「去年の今頃はこうだったな」と考えたり…。
とりあえずお花だけでも買おうと、29日に近所のお花屋さんでバラ1束5本で525円ってのを買いました(^^; 
100930-02.jpg
お骨のヨコにお花を飾って、あとはチャイの好きだったおかかやチーザ(グリコのチーズのスナック)も置いてみた。
30日3:05、チャイとワタシだけでそのときを迎えて儀式終了。

ここにはその後あまり書いていなかったけれど、正直言って、相当ひどいペットロスに陥りました。すぐの時は気も張っていたし、乗り越えられたと思う時はあったんだけど、お正月くらいからさらにひどく、どっと来ました。
何か琴線に触れることに突然出くわすと、感情のコントロールができなくなって人前でも泣いてしまったり。
何事に対してもやる気がおこらなくなり、孤独感にさいなまれたり。
チャイはワタシのすべてだったから、ワタシがチャイに頼りすぎていたから、その喪失感の反動が大きかったのかも。

ペットロスから脱するきっかけを与えてくれたのは、晩年のチャイが一番お世話になった先生と5月に話せたことだったように思います。そのときのことはちょろっと2010年6月7日に書いてます。

ペットロスから立ち直るには新しいコを迎えるのが一番!とよく言われます。もちろん、それも1つの手段だと思う。
でもそれは人それぞれ。ワタシもまわりから「新しいコを迎えたら?」とたくさん言われたけれど、ワタシにとっての解決策はそれではなかったようで…。
家族が支えてくれたこと、仲良しの猫友達と話すこと、そしてチャイのことを一番わかってくださっていた先生とゆっくり話すことができたことに感謝です。

チャイを失った悲しみはこれからも消えることはないけれど、ペットロスからは脱出できたと思います。
今はチャイの写真を仕事机にも飾っているし、Macの壁紙もチャイ写真。毎日、Macを終了する時にはチャイにお休みを言うし、写真を見ては「チャイちゃん、会いたいねー。抱っこしたいねー」って話しかけています。
チャイが恋しくなりすぎると、寝室にあるチャイの骨壺を抱っこする。目に見える、触れることの出来る唯一のチャイだから。これはワタシにとってとても大切なこと、とわかったので、お骨とはずっと一緒に暮らそうと思っています。

一周忌、ということで、ちょっと今日はしんみりなワタシだけど、チャイと生活していることには変わりません。これが”一緒にいる”ってことなんでしょうね。チャイとお別れした当時は”一緒にいる”っていう意味が理解できず辛かった。まぁ今でも現実一方通行ってのが悲しいけれど、これはしょうがないし。
辛かったけれど、自分の人生でこういう経験ができたってことは、つまり”チャイと出会えたってこと”は、最高のことだったな、と今のワタシには思えます。

ペットロスからは立ち直ったけれど、今のワタシ、新しいコを迎えるかどうかはやっぱりまだ5分5分の気持ちです。
もしそんな運命の日が来たら、まっさきにココでお知らせしますね。

↓数あるチャイ写真の中で一番お気に入りの1枚。お骨のヨコも携帯の待ち受けもこの写真です。ワタシがいるパソコン机の上のチャイ。
100930.jpg

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2010年09月30日

一周忌を迎えて2:ペットの安楽死について

今さら、なことなんだけど、自分の意見は今日にしか書けないかな、と思って…。
引き続き重い話&長文ですみません。

チャイの最期を看取る機会がくる前まで、ペットの安楽死には漠然と反対意見だったワタシ。
どんな状況であろうと、そのコが生きようとしているのなら、最期まで飼い主はそのコの意思を尊重して人間の力(安楽死)を加えるべきでないと思っていた。

チャイが心筋症になった時、英会話学校の英国人先生が「英国ではそういう状態になったら安楽死よ」と言った。
先生はワタシがチャイのことを自分の子供以上と考えていることを知っていた上で。
現実、苦しむチャイが目の前にいたし、その言葉にワタシは少しだけ揺らいだ。でも、チャイはパニックにありながらも一生懸命生きようとしていた。だから、なんとかワタシもチャイにがんばってほしかったし、このまま不自由な身体でも生きていてくれるならワタシは何でもしようと思っていた。
その時、安楽死なんてみじんも考えられなかった。

でも、息を引き取る数時間前、本当にチャイは苦しそうだった。
そんなチャイを前にずっと「チャイ、頑張れ!」と言っていたワタシだけど、ある瞬間「チャイ、もう頑張らなくていいよ」と言った。
心からそう思った。
「かあちゃん、助けて!」とワタシの腕にしがみついてくるチャイを前にして、何も助けてあげることができないワタシだったから。
安楽死させてあげた方がチャイのこの苦しみをとってあげられる、と切実に思った。

ワタシにはまだどのくらいチャイのこの苦しみが続くのかわからなかったし、安楽死の相談も含めて、先生に電話をした。
先生の判断は「その状態だとあと数時間だと思う。今から行って処置することもできるけれど、そういう状態の中で今はおかあさんと一緒にお家にいるとわかっているチャイちゃんのトコロに他人が行って、さらにチャイちゃんが落ち着けなくなるのはどうかと思う。行く行かないはおかあさんが決めてください」と言われた。

ワタシがチャイのそばにずっといることは、苦しいながらもチャイはわかっている。ここはお家、ということもわかっている。そこに、知らない人がやってきたら、やっぱりチャイはイヤだろう。
だからワタシは安楽死の処置をお願いすることをやめた。
そして電話口の先生からは「辛いだろうけれど、勇気を持って見守ってあげて」と背中を押していただいた。
ごめんね、チャイ。
かあちゃん、チャイの苦しいの助けてあげられない。ちゃんと見届けるから、ずっと一緒にいるから、と、言うしかなかった。

結局チャイは、先生に電話で相談した1時間後に亡くなった。
すごく苦しんで、最期の力まで振り絞って生き抜いた。

チャイに対して安楽死の処置は最終的にとられなかったけれど、ペットの安楽死に対して、反対意見をそれまで持っていたワタシは混乱した。
確かにその時、ワタシは安楽死させてあげた方がいい、と思った。だから「チャイ、もう頑張らなくていいよ」とチャイに言った。薬の処置こそなかったけれど、これが合図だったと思う。

ずっとお世話になっていたチャイの先生のおうちのコのひとりはチャイと同じ巨大結腸症でした。
巨大結腸症は完治する病気ではないので、色々食事療法やチェック方法、サプリメントなどあれこれ先生と一緒に報告し合いながら病気と闘ってきました。チャイの場合は巨大結腸症が原因で死んだわけではなかったけれど、先生のコは結局これが原因で最期は安楽死だったとか。
1年ぶりに会った先生の前で泣いてしまいました。

先生曰く「いろんな飼い主がいる」と。本当にそのとおりだと思います。特に獣医師からみると「こんなに大変な病気なのに、飼い主はのほほんとしている!」と思う人もいるでしょう。
のほほんとしている飼い主の判断による安楽死には無責任さを感じます。だけど、わがコのことを考えての安楽死はありなんだということを思いました。そして、獣医師も飼い主がどういうタイプかを判断した上で安楽死の提案をしたり、勧めるか言わないかを判断しているんじゃないかな。あとは本当に動物のためを思って…。

「人間は”死”がこわいけれど、犬や猫は死がこわくない。死というものを知らないから」という言葉をその後ネット上で目にし、涙が止まらなくなりました。
死はこわくないから、どんなに苦しくても飼い主が「生きて!」と言えば、飼い主の思いに応えようと頑張るのだとか。
彼らにとっては、苦しくても飼い主が「頑張って生きて!」と言えば生きようとするし、「もう頑張らなくていいよ」と言えば、「わかった」ってなるのだと思います。ものすごく飼い主のことを信用してくれているから。

チャイの死を通じてワタシが理解したことは、安易な安楽死の選択はありえないけれど、安楽死を選択しなければならない状況はある、ということ。そして、チャイには安楽死の処置は施されなかったけれど、ワタシがそれを考え、「もう頑張らなくていいよ」と言った瞬間、同じ行為が働いたんではないかな、と思います。

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2010年06月19日

久々に猫話のつづき

6月7日に書いた記事のその後。

今日、英会話学校から紹介された子猫話、お断りしました。
2週間近く返事を引き延ばしちゃって申し訳なかったんだけど…。

先週のクラス前に、茶トラ×白の可愛い写真を見せられ、ちょっと心がぐらついた。顔にかかる茶トラの部分が、なんだかおかっぱ頭のような感じで可愛いのだ。「しっぽの長さはどうでしょう?」と、写真ではわからなかったシッポについて尋ねてみた。翌日電話があって、「チャイままさん好みの”長いシッポ”だそうですよ!」とのこと…。
さらにぐらついて「一度面会ってできますか?」と聞いてみた。また折り返し連絡があって、先方の電話番号を教えてもらった。なんと、我が家から徒歩5分以内のところに保護されているそう。

ここまで来て、すごく現実的に「猫と再び暮らす」ということを真剣に考えなきゃな状況に追い込まれたように思った。
今までネットの里親サイトとか見て「このコ可愛いなぁ」と思っていたのは、非現実的に「いいなぁー」と思っていたのだ。
保護先さんに電話をして子猫と面会したら、たぶん高い確率でそのコを迎え入れてしまうような気がした。
本当にまた猫と暮らせるワタシになっているんだろうか? ちょっと真剣に考えてみたら、1年前の今頃、チャイの巨大結腸症が再発し、またまた病院通いが始まったんだなぁ、と思ったら、久々に涙が出た。
それと同時に一周忌を迎えるまではやっぱり新しい猫と暮らすのはやめよう、と思った。
9月30日の一周忌を迎えた後、ゆっくり今後のことは考えようと思う。

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2010年06月07日

久々に猫話

今週末のアフリカンフェスタ、お天気、なんとか大丈夫そうですね!!!
梅雨入りの遅れに感謝〜。

実を言うと、チャイがいなくなってからずっとモチベーションが上がらなくて、だらだらと過ごしていたのだけれど、今週は半年遊んでいたツケが一気にまわってきたようで、仕事関係でしゃきっとしなきゃいけない一週間になりそう(^^; うーん、シャキッとするのって、どうすればいいんだっけ?
仕事以外ではもちろん今週末のアフリカンフェスタに張り切っているのだけれど、金曜日にはパット・メセニーのコンサートもあるのだぁ♪ お楽しみも集中しています。
おまけに今日の英会話学校では、事務局のSさんから「チャイままさん、生後1ヶ月の子猫のもらい手を探しているんだけど…」と言われてしまった(^^;(今、子猫ラッシュですもんね〜)
※英会話学校は新しいクラス、順調です。またそのうち書きますね〜

新しい猫はね、正直迷っています。
“また猫と暮らす”or”もうしばらくは猫と暮らさない”の気持ちがまだちょうどフィフティー・フィフティー。
実は、里親サイトでGWあたりから気になっているコ(2歳くらい)がいます。ご縁があれば、そのコと暮らすのかも。まだアクションは何もおこしてないけど、なんとなく自分の気持ちを確認しているって状態です。

先月、ココには書かなかったけれど、後期チャイが5年間お世話になった先生とゆっくり話す機会がありました。先生はチャイが旅立つ半年前に引退されて、病院を閉院。チャイは転院したのだけれど、その後もメールや年賀状で時々連絡していました。
なので、チャイが旅立ったことも報告していたし、先生から「会いにきて!」と優しい言葉をいただいていたものの、会えたのはチャイとお別れして7ヶ月たってから。
先生に会いに行きたい、と思えるようになりました。

チャイの死因は心臓の肥大型心筋症から血栓症を起こしたことだけど、これは本当にどうしようもなかったとワタシも納得しています。
チャイを看取れたことはすごく良かったけれど、生命のすごさをチャイは教えてくれて、ペットロスでもあったんだろうけれど、その後ずっとワタシは”生命”って何か、という迷宮に入りこんでしまった感じでしたが、やっとそこから抜け出せたのかな? もちろんはっきりとした答えは出ていないと思うけれど、チャイが教えてくれたこと、十分ワタシの中で消化できてきたんだと思います。哲学系本を読みあさったのもそんな行動の1つ。この8ヶ月間はしんどかったけれど、ワタシの人生にとってすごく大きな8ヶ月だったかな?

先生と一緒に戦ってきた巨大結腸症については、本当にしんどい病気…というか体質、症状だったよね、と一致の結論。先生のおうちの巨大結腸症だったコもお☆になったそうです。
先天性はともかく、今後巨大結腸症の猫が増えないように、ワタシなりに発信して行けたらいいな、と思ったり…。

先生は今、お年寄りがお世話できなくなった猫たちのケアとかもされているそう。今はとってもイイコなんだけれど噛みグセのある8歳くらいのコの里親さんを探しているという話をやんわりと聞いた。

これから先、子猫と暮らすことはなさそうかな? もしワタシが「やっぱり猫と暮らそう」と思ったら、成猫なような気がします。
でもって、シッポが長くて、色はチャイとは全く違うコで、何か運命的なピンっとくるコ。

というわけで、英会話学校からのお話には積極的ではないワタシですが、来週写真見せてもらうのだ(*^^*) 
子猫だと、成猫よりは里親さんは見つかりやすいよね?里親探しのお手伝いくらいはできると思うし。

「ケニア強化週間」と宣言しつつ、今日はまったく関係ない話になってしまいました(^^;
長々と読んでくださって、ありがとうございます!
明日はまたケニア・ネタ書きます!!!

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2009年12月14日

チャイ13歳の誕生日

生きていれば今日はチャイ13歳の誕生日。
お祝い、したかったなぁ。
最近忙しいので、ペットロスで沈んでいることもできないんだけれど、やっぱり寂しい。
今でもやっぱり「なんでいないんだろう?」って思っちゃうし、会いたいし抱っこしたい。
肉体がなければ嫌なの。チャイじゃなきゃダメなの。
と思いつつ、以前のように泣いてしまうことはなくなった。
四十九日を過ぎたあたりから、ずいぶんワタシの気持ちも落ち着いてきたみたい。
この2ヶ月で数年分の涙を流しきった感じ。
ペットロス関係の本を何冊か図書館から借りてきて読んでみたりもした。
少しだけ救われる部分もあったけれど、結局、ワタシ自身がどう気持ちを整理するかということ。
魂を信じなさいとか、いつか再会できる時を信じなさいとか、色々書かれているけれど、それを信じられないワタシである以上、どんなに本を読んだってアドバイスされたって無理なんだな、ってことがよくわかった。
これって、宗教と一緒なんだと思う。
宗教って個人のものだし、本人が信じてこそ大切なもの。
他人がとやかく言うことではない。
日本人は宗教に対して鈍感だと思うけど、外国人の多くは自分の宗教を持っている。
きちんと毎週教会に行ったり、日常生活の中にお祈りの時間を持っていたり。
宗教とはその人の考え方だし、生き方の指針。
だからこそ、特に外国人と話す時、宗教の話題はタブーとされている。
たぶん宗教は生と死についても各々定義がある。
ワタシは無宗教だけれど、宗教を持っていた方が、こういうとき楽…というか、自分の進むべき道がはっきりするんだろうな、と思ったりもする。
でも今のワタシは特定の宗教を持とうとは思えない。
ってことは、自分のアタマの中だけで葛藤して答えを見つけていくしかないんだよね。
苦しいけど、しょうがないな、と思える今日この頃。。。
あ、ごめんなさい! ちょっと過激発言だったかな?
みなさんからいただいた優しいお悔やみの気持ちは、とっても大切に受け止めてます。
ありがとう。
もう大丈夫なので、お気遣いなく。

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2009年11月18日

四十九日

この歳で恥ずかしいのだけれど、今まで初七日や四十九日についてあまり深く考えていなかったのです。
だから周りの人たちのそういうタイミングを意識する機会が全然なかった。
最近ようやくその意味までを知る機会があり、で、チャイの四十九日は11月18日なんだなと思って、なんとなく数日前から複雑な気持ちになっていたのです。
昨日はなんだか仕事がバタバタで、鳴らない時は1本も鳴らない電話が鳴りっぱなし。
おまけにここ2ヵ月ずっとこじれていた交渉がついに決裂し、ワタシは間に挟まれてあれこれ逃げたくなるような対処をしなくちゃいけなくて、電話だらけのうんざりな状態に。
そんな仕事の電話の合間に、また電話が鳴った。
「花屋ですが、○○動物病院からチャイちゃん宛にお花をお届けします。今在宅されてますか?」
想像もしてなかった連絡なので「四十九日だからなんだ」と、チャイのことを覚えていてくださったことが素直に嬉しくて、思わず仕事中だったのだけれどまたうるうるしてしまった。
程なくしてピンポーンとお花屋さん登場。
ピンクのお花でまとめられたとっても可愛くてセンスの良いお花で「病院からとは思えないお花。すごい!」と、すっかり病院からのお花だと思って一緒に渡されたメッセージカードをよく見たら、贈ってくださったのはなんとお友達のYさん!!!
思いがけないプレゼントで、またまたワタシはうるうる。
その5分後に今度は病院からのお花も。
ワタシ自身は四十九日にあたり、お花を用意したりとか何もしなかったのだけれど、またまたチャイのまわりがお花だらけになりました。
チャイは幸せ者だね〜。
実は、2週間前には以前のご近所さんで親しいSさんが花束を持ってきてくださいました。そのお花が長くもって、ちょうど昨日なくなったところだったんだけれど、また一気にチャイコーナーの回りが賑やかになりました。
私は無宗教だけど、四十九日の意味を知ってまだここにいてほしいなぁと思ったり。
7週間たってもチャイは1度としてワタシの夢に出てきてくれません。
そばにいる感覚も全くなし! まだまだワタシの修業が足りないんでしょうね。。。
さっきYさんと病院にお礼のメールと手紙を書いて、また少しだけ自分の気持ちが整理できたようにも思います。
こうやって少しずつ少しずつ自分の気持ちを整理していくのかも。
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2009年10月04日

やっと…

写真を飾りました。
昨日まではお骨のまわりにお花がいっぱいあるだけで、写真を選んで飾ることがまだ気持ち的にできなかったのですが、これでやっと少しは形になったかも。
まだ仮の場所なんだけれど。
091004.jpg
ココに延々書き続けることによって、自分自身を客観視し、自分の精神を保ててきたと思います。
実はもうちょっとワタシは泣き続けて凹みまくると思っていたのですが、こうして書くことで1つ1つの出来事を冷静に受け止めることができたような気がします。
仕事が忙しかったのも、ワタシにとっては良かったことのようです。
まだこうしてチャイの写真を見ると泣いてしまうけれど、チャイがいなくなってしまったのは、ずっと昔のような気がします。
明日からまたたまっている仕事に集中します!
ココに書く頻度が少なくなってきたら「元気になったんだな」と思ってやってください。
ひとまずこれでチャイのことは終了します。
今まで本当にありがとうございました!

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2009年10月03日

「看取る」ということ

今日はチャイの病院に行って、お世話になったお礼と、未開封で使わなかった介護セット(注射器とか針とか流動食とか)を引き取っていただきました。
担当先生がやさしく迎えてくださり、色々と話をしました。
その中で、ずっとワタシが引っかかっていたこと、最期を「看取る」ということについて。

ワタシの場合は、入院させたときに「今までの猫たちが病院で死んでしまったので、どうしようもなくなったとき、チャイは手元で看取りたい」と、前もって先生に伝えていました。

なので、最期は病院から引き取ってきたのだけれど、先生曰く「どんなにそのコを愛している飼い主さんでも、連れて帰って最期を看取ることができる方は少ないんですよ。すごく勇気のいることだから」って。

これは「看取る」ことを経験して、つくづくワタシもそう思いました。
覚悟を決めていたワタシだって、実際には想像以上に勇気が必要だったし、苦しむチャイを前に途中で逃げ出したくなりました。
耐えられなくなって動物救急に電話をし、発作を起こしたときに診ていただいた先生にたまたま相談できる機会に恵まれ、先生に勇気づけていただけたから乗り越えられたと思います。

確かにチャイは家に帰ってこれて安心はしたと思うし、ワタシが側にいることも認識していました。
でも「苦しい!カアチャン助けて!」と言われても何もできなかった。
今はこの時のチャイの様子がフラッシュバックしてきて苦しいです。
苦しいけれど、一方で、これは後悔ではなく、どうしようもなかったことと納得できるワタシ。
でもそう考えると結局チャイの気持ちをただ人間のワタシが勝手に解釈して、悩んだり安心したりしているような気がしてきました。

何が言いたいかというと、「看取る」ことだけが飼い主としての全ての責任を果たした行為ではないということ。
看取らなかったから可哀想だった、ではないということ。
どっちに転んでも、それは人間の感情で左右されてしまうことだから。
最期の瞬間ではなく、それまでの一緒にいた時間がいかに充実していたかが、そのコと飼い主との関係の中で一番重要だということを再認識しました。
病院で亡くなったロビやマロも決して可哀想だったわけじゃない、と思えるようにもなりました。

チャイが亡くなる前の日、英会話学校の先生の最後のクラスでした(突然、日本を去ることになった)。
その日は授業のあと、お別れ会が開かれることになっていて、ワタシもクラスメートとサプライズプレゼントを計画していたのだけれど、チャイのことがあったので、10分だけ教室に顔を出し、先生に事情を説明しました。
先生もすごく心配してくれたんだけれど、「英国では、そうなってしまうとすぐ“put to sleep(安楽死)”よ」と言った。
たとえばケニアでは、「死」に対し、みんなすごく悲しむんだけれど、割り切りや立ち直りがとても早いと思う。
それは、やっぱりエイズとか、死が身近な日常にあるからなんだろうなぁと思ったりする。
日本人が考える「死」は、もっと引きずるし、当たり前のことなんだけれど、当たり前と受け取られにくいような。
これは、お国柄だけでなく、個々の考え方でもそれぞれだけど。

うーーん、ちょっと本来書きたかったことと方向がずれてきたような(^^;
つまり、我が子を看取るだけが全てではない、ということ。
ワタシは今回チャイを看取ることができたけれど、それが絶対的なベストな方法ではないということ。
たとえば突然愛するコがそういう状態になってしまったら、看取る云々より、近づくお別れについての覚悟すらできてない状態。そんな状態で看取ることまでなんて、無理だと思う。

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2009年10月02日

あれから1週間

金曜日です。
チャイが突然心筋症になってからちょうど1週間でした。
「先週の今頃はこうだったなぁ」なんて思ったりもするものの、その日のことも、亡くなったのも、なんだかすごーーく昔のような気がします。
亡くなった日の朝1で病院には電話をして説明し、翌木曜日には病院に行くことを話していたのだけれど、昨日は行けませんでした。
仕事の締切がピークだったこともあるのだけれど、気が張っていた水曜日までとは違って、木曜日はどっと疲れちゃって、あちこち筋肉痛。
これは、酸素室をワタシの仕事机のうしろ、床にどーんと置いていたので、介護するのに床に這いつくばって変な姿勢でしなきゃだったせいだと思われます。
8時間おきの皮下注射や強制給餌など、すごい無理な姿勢でになっちゃったので、病院みたいに酸素室は立ったまま介護できるテーブルの上に載せればよかったかなーと後から思いました。
でも、床に置いて良かった点は、チャイの目線で一緒に横になれたこと、かな。
そんな肉体的な疲れだけでなく、昨日からは最期の数時間前からの様子がフラッシュバックしてきたり、日常生活の中のチャイとのルールに無意識にワタシが反応してしまったりが辛くて辛くて。
なので病院へは明日の土曜日行くことにしました。
今日は少し大丈夫になってきたし。
皮下注射セットや流動食など、まだ封もあけてないものが山ほどあるし、先生たちには電話ではおはなししたものの、きちんと感謝の気持ちを伝えたいので。
でも、ちょうど仕事があれこれたまっているので、仕事していれば忘れていられるので、ある意味助かっています。
で、仕事が一区切りつけば「この際、ケニアに行っちゃおうかな」なんてことも結構真剣に考えています。
こうしてちょっとずつあとは自分の気持ちを整理していくしかないんですね。
実際自分がこういう場面に遭遇し、つくづく色んなことを感じます。
今朝、ボストンにいるワタシの娘(正確には友達のコ)から大学生活の様子を知らせるメールがありました。
彼女は小さい頃からずーっとチャイのファンでいてくれて、8月にも帰国中の忙しい中、チャイに会いに来てくれました。
メールには「チャイにもよろしく!」とあり、ワタシはまたうるうる。
今週末には彼女にも知らせなきゃ、と思っていたところだったので、一足先にチャイが知らせに行ったのかもしれません。
本当にチャイはみんなに可愛がっていただき、幸せ者だったなぁと思います。

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