2010年09月30日
一周忌を迎えて2:ペットの安楽死について
今さら、なことなんだけど、自分の意見は今日にしか書けないかな、と思って…。
引き続き重い話&長文ですみません。
チャイの最期を看取る機会がくる前まで、ペットの安楽死には漠然と反対意見だったワタシ。
どんな状況であろうと、そのコが生きようとしているのなら、最期まで飼い主はそのコの意思を尊重して人間の力(安楽死)を加えるべきでないと思っていた。
チャイが心筋症になった時、英会話学校の英国人先生が「英国ではそういう状態になったら安楽死よ」と言った。
先生はワタシがチャイのことを自分の子供以上と考えていることを知っていた上で。
現実、苦しむチャイが目の前にいたし、その言葉にワタシは少しだけ揺らいだ。でも、チャイはパニックにありながらも一生懸命生きようとしていた。だから、なんとかワタシもチャイにがんばってほしかったし、このまま不自由な身体でも生きていてくれるならワタシは何でもしようと思っていた。
その時、安楽死なんてみじんも考えられなかった。
でも、息を引き取る数時間前、本当にチャイは苦しそうだった。
そんなチャイを前にずっと「チャイ、頑張れ!」と言っていたワタシだけど、ある瞬間「チャイ、もう頑張らなくていいよ」と言った。
心からそう思った。
「かあちゃん、助けて!」とワタシの腕にしがみついてくるチャイを前にして、何も助けてあげることができないワタシだったから。
安楽死させてあげた方がチャイのこの苦しみをとってあげられる、と切実に思った。
ワタシにはまだどのくらいチャイのこの苦しみが続くのかわからなかったし、安楽死の相談も含めて、先生に電話をした。
先生の判断は「その状態だとあと数時間だと思う。今から行って処置することもできるけれど、そういう状態の中で今はおかあさんと一緒にお家にいるとわかっているチャイちゃんのトコロに他人が行って、さらにチャイちゃんが落ち着けなくなるのはどうかと思う。行く行かないはおかあさんが決めてください」と言われた。
ワタシがチャイのそばにずっといることは、苦しいながらもチャイはわかっている。ここはお家、ということもわかっている。そこに、知らない人がやってきたら、やっぱりチャイはイヤだろう。
だからワタシは安楽死の処置をお願いすることをやめた。
そして電話口の先生からは「辛いだろうけれど、勇気を持って見守ってあげて」と背中を押していただいた。
ごめんね、チャイ。
かあちゃん、チャイの苦しいの助けてあげられない。ちゃんと見届けるから、ずっと一緒にいるから、と、言うしかなかった。
結局チャイは、先生に電話で相談した1時間後に亡くなった。
すごく苦しんで、最期の力まで振り絞って生き抜いた。
チャイに対して安楽死の処置は最終的にとられなかったけれど、ペットの安楽死に対して、反対意見をそれまで持っていたワタシは混乱した。
確かにその時、ワタシは安楽死させてあげた方がいい、と思った。だから「チャイ、もう頑張らなくていいよ」とチャイに言った。薬の処置こそなかったけれど、これが合図だったと思う。
ずっとお世話になっていたチャイの先生のおうちのコのひとりはチャイと同じ巨大結腸症でした。
巨大結腸症は完治する病気ではないので、色々食事療法やチェック方法、サプリメントなどあれこれ先生と一緒に報告し合いながら病気と闘ってきました。チャイの場合は巨大結腸症が原因で死んだわけではなかったけれど、先生のコは結局これが原因で最期は安楽死だったとか。
1年ぶりに会った先生の前で泣いてしまいました。
先生曰く「いろんな飼い主がいる」と。本当にそのとおりだと思います。特に獣医師からみると「こんなに大変な病気なのに、飼い主はのほほんとしている!」と思う人もいるでしょう。
のほほんとしている飼い主の判断による安楽死には無責任さを感じます。だけど、わがコのことを考えての安楽死はありなんだということを思いました。そして、獣医師も飼い主がどういうタイプかを判断した上で安楽死の提案をしたり、勧めるか言わないかを判断しているんじゃないかな。あとは本当に動物のためを思って…。
「人間は”死”がこわいけれど、犬や猫は死がこわくない。死というものを知らないから」という言葉をその後ネット上で目にし、涙が止まらなくなりました。
死はこわくないから、どんなに苦しくても飼い主が「生きて!」と言えば、飼い主の思いに応えようと頑張るのだとか。
彼らにとっては、苦しくても飼い主が「頑張って生きて!」と言えば生きようとするし、「もう頑張らなくていいよ」と言えば、「わかった」ってなるのだと思います。ものすごく飼い主のことを信用してくれているから。
チャイの死を通じてワタシが理解したことは、安易な安楽死の選択はありえないけれど、安楽死を選択しなければならない状況はある、ということ。そして、チャイには安楽死の処置は施されなかったけれど、ワタシがそれを考え、「もう頑張らなくていいよ」と言った瞬間、同じ行為が働いたんだではないかな、と思います。
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もう一周忌だったんですね。もうなのか、まだなのか。。。ですが。
ウチも2月で一年が経つわけですけど、悲しみってなかなか癒えるものではありませんねぇ。
7年前だったかな。
レオちゃんは、手術を繰り返しても治らない状態で、苦しんで苦しんで苦しみ抜いたあげくに麻酔を打ってもらい旅立ちました。
私の覚悟が決まらなかったばかりに、一晩無駄に苦しめたと後悔しました。
「もう頑張らなくていいよ」といって撫でてやったときの安堵の表情は、本当にいつまで経っても忘れられません。
ゆっかさんも。迎えに行って挿管を外して貰って連れて帰る時「もういいよ、一緒に帰ろうね」と伝えたら、それを待っていたように静かに旅立ちました。
そうなのよね。
彼らは死を知らないからね。恐くないんだよね。
「もう頑張らないでもいいのよ」って言葉(気持ち)で安心すると聞いたら、あれでよかったのかなと納得出来る気がします。
ふえちゃんが旅立ってしまったら。いつか来るその日が来たら。
少しずつ心の準備はしているけれど、新しい子を迎えるなんてきっと出来ないんだろうなって思っています。
レオちゃんが旅立ったのは2月。ゆっかさんも2月。
ゆっかさんもふえちゃんもれおちゃんも4月生まれだから、旅立つ日も合わせているのかも。。。なんて考えちゃうと、来年の2月は来て欲しくないなと思っちゃうのです。
いったい何を語りたいのか。ごめんなさい。
虹の橋の向こうで、きっとみんな一緒に仲良くやっていると信じてます。
悲しみって、きっと消えないよね。少し小さくなることはあっても、なくなることはないんだと思う。
辛いけれど、人生でここまで悲しめることを体験できたってことはある意味すごいことなのかな、と思ったり。
ふえちゃんも1日も長く元気で姫ダルマさんとぬくぬくできますように!
コメントありがとうね。
一周忌ですか。早いものですね。
チャイ君も、好きなものお供えしてもらって、向こうでニコニコしていたことでしょうね。
我が家はあのバタバタの後、いまだに病院搬送が色々と続いています。
骨折はするは、血尿するのはいるはで、てんてこ舞いしてます。
おかげでペットロスになるヒマすら無いですが、喜んでいいのか悪いのか…。
故Bチャンの時は、確実にペットロスでしたが、あの苦しさはホントに辛いですよね。
はやさかさん、コメントありがとうです。
相変わらず大変な日々が続いているようで、なんでまた!?って感じですよね…、ううう、がんばってぇ…。
Bチャン、会えて良かったなーの猫さんのひとり(*^^*)
みんなが忘れないでいるってのが供養の1つのあり方なのかなぁ?
そういう意味でも猫屋敷ってすごい存在だったよねー。