2009年10月03日(土)

「看取る」ということ

今日はチャイの病院に行って、お世話になったお礼と、未開封で使わなかった介護セット(注射器とか針とか流動食とか)を引き取っていただきました。
担当先生がやさしく迎えてくださり、色々と話をしました。
その中で、ずっとワタシが引っかかっていたこと、最期を「看取る」ということについて。

ワタシの場合は、入院させたときに「今までの猫たちが病院で死んでしまったので、どうしようもなくなったとき、チャイは手元で看取りたい」と、前もって先生に伝えていました。

なので、最期は病院から引き取ってきたのだけれど、先生曰く「どんなにそのコを愛している飼い主さんでも、連れて帰って最期を看取ることができる方は少ないんですよ。すごく勇気のいることだから」って。

これは「看取る」ことを経験して、つくづくワタシもそう思いました。
覚悟を決めていたワタシだって、実際には想像以上に勇気が必要だったし、苦しむチャイを前に途中で逃げ出したくなりました。
耐えられなくなって動物救急に電話をし、発作を起こしたときに診ていただいた先生にたまたま相談できる機会に恵まれ、先生に勇気づけていただけたから乗り越えられたと思います。

確かにチャイは家に帰ってこれて安心はしたと思うし、ワタシが側にいることも認識していました。
でも「苦しい!カアチャン助けて!」と言われても何もできなかった。
今はこの時のチャイの様子がフラッシュバックしてきて苦しいです。
苦しいけれど、一方で、これは後悔ではなく、どうしようもなかったことと納得できるワタシ。
でもそう考えると結局チャイの気持ちをただ人間のワタシが勝手に解釈して、悩んだり安心したりしているような気がしてきました。

何が言いたいかというと、「看取る」ことだけが飼い主としての全ての責任を果たした行為ではないということ。
看取らなかったから可哀想だった、ではないということ。
どっちに転んでも、それは人間の感情で左右されてしまうことだから。
最期の瞬間ではなく、それまでの一緒にいた時間がいかに充実していたかが、そのコと飼い主との関係の中で一番重要だということを再認識しました。
病院で亡くなったロビやマロも決して可哀想だったわけじゃない、と思えるようにもなりました。

チャイが亡くなる前の日、英会話学校の先生の最後のクラスでした(突然、日本を去ることになった)。
その日は授業のあと、お別れ会が開かれることになっていて、ワタシもクラスメートとサプライズプレゼントを計画していたのだけれど、チャイのことがあったので、10分だけ教室に顔を出し、先生に事情を説明しました。
先生もすごく心配してくれたんだけれど、「英国では、そうなってしまうとすぐ“put to sleep(安楽死)”よ」と言った。
たとえばケニアでは、「死」に対し、みんなすごく悲しむんだけれど、割り切りや立ち直りがとても早いと思う。
それは、やっぱりエイズとか、死が身近な日常にあるからなんだろうなぁと思ったりする。
日本人が考える「死」は、もっと引きずるし、当たり前のことなんだけれど、当たり前と受け取られにくいような。
これは、お国柄だけでなく、個々の考え方でもそれぞれだけど。

うーーん、ちょっと本来書きたかったことと方向がずれてきたような(^^;
つまり、我が子を看取るだけが全てではない、ということ。
ワタシは今回チャイを看取ることができたけれど、それが絶対的なベストな方法ではないということ。
たとえば突然愛するコがそういう状態になってしまったら、看取る云々より、近づくお別れについての覚悟すらできてない状態。そんな状態で看取ることまでなんて、無理だと思う。

カテゴリー:チャイ2 Comments


“「看取る」ということ” への2件のフィードバック

  1. 姫ダルマ より:

    お久しぶりです。
    看取るのは本当に勇気が要りますね。
    数年前に『れお』を看取った時、助からないのが判り、お別れの時間が欲しくて一晩連れて帰ったんですけど、それが彼をかえって苦しめてしまったのでした。そばでずっと体をさすってやってやるしかできず、悲鳴を上げて涙を流すれおに何も出来ない私。
    夜が明けたクリニックに彼を連れて行って、徐々に強い麻酔を打ち眠らせてもらいました。
    今でも、まだ方法があったのかもしれない?と思うこともあります。あの晩の悲鳴が耳に残っています。でも、あの時に私にできる事はあれしかなかったんだと自分自身に言い聞かせながら今日まで来ました。
    ふと、この記事が目にとまり思い出したことを書いてみました。
    それぞれがそれぞれのやり方で、愛しい者達の死を受け入れて乗り越えねばならないんですよね。
    ばーちゃんとじーちゃんになったうちの猫夫婦。呆けた?って行動が目に付きだしました。
    看取る日が近いんだろうなぁと思いつつ過ごしております。

  2. チャイまま より:

    姫ダルマさん、コメントありがとう。
    お気持ち、痛いほどすごくすごくわかります。
    お別れの時って、どんなことをしたって「あれでよかったんだろうか?」って、きっと思ってしまうことなんでしょうね。
    あとはいかに自分の気持ちを納得させるか…。でもって納得しちゃう(自己満足)自分が許せなかったり…。
    ワタシもきっとずっとこの気持ちは引きずるんだと思います。
    でも、そういうことに気づけたことは自分の人生にとって大きなコトだったようにも思えます。

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