月別アーカイブ: 2009年10月

2009年10月23日

阿佐ヶ谷JAZZ STREETSへ

今年で15回目を迎える阿佐ヶ谷ジャズストリートに行ってきた。
同行者は阿佐ヶ谷在住の60代後半の仕事関係オジサマ。
まずはジャズボーカル、マーサ三宅のステージに行ってみた。
実はかれこれ25年くらい前、当時うら若きワタシが勤めていた会社の仕事で中野のマーサ三宅ヴォーカルハウスにお届け物をしたことがあった。
ちょうどそのとき、マーサ三宅さんがその場にいらっしゃり、「あら、あなた、いい声しているわね。ジャズボーカル、習ってみない?」と、ワタシは直々にお声をかけていただいた。
もちろんいわゆる軽い勧誘の1つだったのだと思うのだけれど。
ワタシは昔から今現在も自分の声が嫌い。
なので、そのワタシの声をお世辞でも初めて褒めてくれた?のがマーサ三宅さん。
そんな若かりし頃の思い出もあって、ぜひ1度マーサ三宅さんの歌声をいつか聞いてみたいと思っていた。
う〜ん、さすが貫禄の迫力。
でもって、余裕の感じられる歌声&ステージングに歳を重ねていくことのすばらしさを感じる。
お客さんはびっくりの高年齢な方々ばかり。
たぶんワタシごときが参加者平均年齢を下げていたんじゃないかな、と思うほど。
でもみなさん、よーく曲のこともご存知で、楽しそう。
なんだか今まで知らなかった空間に参加した気分で嬉しくなってしまう。
その後軽く飲んで次は山下洋輔のステージへ行ってみた。
山下洋輔=フリージャズのイメージがあり、フリージャズはよくわからない、と思っていたのだけれど、この阿佐ヶ谷ジャズストリートはパスポート券(ワタシが買ったのは今日だけ使える“1日パスポート”前売り2,500円。これで今日の有料コンサート全てがハシゴできる)。
せっかくなので山下洋輔さんは見なきゃ!と思っていたのだけれどすごかった!
なんといってもその環境がすばらしかった。
神明宮という神社の能舞台がステージ。つい最近出来たこの能舞台のこけら落とし公演となるらしい。
空には三日月、松明のパチパチと燃える音と匂い。木々に囲まれた能舞台前の玉砂利が敷かれた観客席。松の絵が描かれた屏風前に置かれたグランドピアノに位置する山下洋輔さんとアルトサックスの米田裕也さんのステージは幻想的で感動的。
あーーー、いいもの観た!って感激でいっぱいになる。
↓写真撮っちゃいけなかったかも。だとしたらごめんなさい。
でもこの雰囲気を忘れたくなかったし伝えたかったので。。。
Macで見ると能舞台の三角屋根と右側にそびえる木立が良い感じの写真なんだけどわかるかな???
091023.jpg
でもってこのあとは阿佐ヶ谷らし〜いお店にてたくさん飲んで帰宅。
ジャズ祭も飲み会もすごく新鮮な体験、でした。

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2009年10月22日

最近

3週間ちょっと過ぎて、少しずつチャイのいない毎日がワタシの日常になりつつあります。
チャイとの生活での些細なルールに反応しちゃう部分(外出先から帰ってきたとき、ドアを開ける瞬間に「来てるかな?」と思ったり、夜7時になると「チャイのごはん!」って思ったり、街の花屋さんで安くて元気な猫草を見つけて「あっ!」って思ったり、などなど)は、だんだん落ち着いてきたけれど、ワタシと同じ時期、苦しい思いをしている人たちにいつも以上に目が向いてしまっていました。
“日本一有名なブログ犬”とも言われる富士丸くん(富士丸な日々)が、チャイが旅立った翌日、突然亡くなったそうです。
ワタシはそれまで富士丸くんのことを知らなかったのだけれど、ひょんなことからこの訃報を知り、とても他人事とは思えず…。
飼い主である穴澤さんの富士丸くんへのメッセージを読んで、もう涙・涙・涙……。
文章へたくそのワタシは、チャイへのメッセージを代弁してもらったような気持ちでした。
あとは“人間”だけど
ふと読んだ「南田洋子さん入院」の記事に、泣いてしまった。
↓asahi.comの記事(記事はそのうち消えてしまうと思うけど)
http://www.asahi.com/showbiz/news_entertainment/TKY200910200473.html
南田洋子さんは数年前から認知症を患い、夫である長門裕之さんがずっと介護をしてきたそう。17日に体調を崩し、くも膜下出血と判明。出来る限りの治療をしたものの、洋子さんの病状は油断を許さない状況。残念ながらこの翌日洋子さんは亡くなってしまったけれど、亡くなる前日、その病状についての会見で長門さんへの質疑応答の一文。
—————
(以下引用/2009年10月20日 asahi.com)
 ――このまま植物状態が続くのか。
 俺は何かを待っている。生涯で失いたくないものを失う時間を待っているんです。いま動いているのは、人工呼吸器で自発的な呼吸ができない中で、心臓を動かすためにいろんなことを行っているが、現状はどんどん、どんどん、それを待っているのがつらい。ものすごい無情を感じる、そんなバカなことはありえない。
—————
まさにワタシもこの気持ちだった。
最期の数時間、チャイが死ぬのをワタシは待つしかなかったから。
「待つ」という意味は「来るはずの人や物事を迎えようとして時を過ごす」(広辞苑)とある。
他の辞書をどんなに見ても、そこに書いてある言葉は「期待する」や「望みを持って」の気持ちが含まれている。
期待も望んでもいないことなのに、ワタシは待った。
そしてその理不尽な気持ち…今まで味わったことのない気持ちは、まだ自分の中で整理できないでいるみたい。
10月4日に亡くなった中川前財務相の突然の死も色々なことを考えさせられた。
政治家として国内外から注目されていた人の突然の死。
それも家族は同じ家の中にいても気づかれずの死。
その日見たBBCでもトップニュースに掲載されていた。“酩酊会見をした日本の元財務大臣死去”と。
さぞかし無念だっただろうなぁと思う。これから汚名挽回して…のはずだったのに。
そして、ワタシの母方祖母の最期の話を親から聞いた。
90何歳かでいわゆる“大往生”だったのだけれど、最期のことを詳しく聞いたのはつい先日だった。
すでにできることは、延命するだけの治療。
でも、そのためにすでに自分の意志のないおばあちゃんのカラダは、パンクしかかっていた。
母や叔母たち姉妹は、その姿を見るのが耐えられなかったという。
でも“人間”に“安楽死”は日本の法律上認められていない。
そんな状況を経たおばあちゃんの死。
「死」ってなんだろう?
裏返せば「命」ってなんだろう?になる。
これは、人間も猫も犬も生命あるもの全てに問われることだと思う。
命が生まれることもすごく神秘的というか考えるべきことなんだけれど、命が消えるときの方がその命の関わり方というか感情的なものがたくさん上乗せされている。
その“命”が関わる別の“命”(家族とか友達とか)が大きければ大きいほど、多ければ多いほど(質や量が微妙に関係してくると思う。だって、セミの誕生から死って、悲しいかなそれほど人のココロを動かさないとワタシは思うから。そういうものだって思っちゃうから)ココロ乱れる人の感情はふくれあがる。
そう考えると、やっぱり“人”だからこの感情に苦しむのか?
でも、ワタシの知る野生動物たちもこの“残されたもの”の感情を持つ場合が多い(ゾウとか猫科動物とか猿とか)。
そう、残されたものの感情。
これを大切に思うべきなのかな。
死期の迫った動けない人、そして犬や猫、命あるものたちは自分で自分を殺す“自殺”という手段が選べない。
ワタシの目の前で懸命に生き抜いたチャイから学んだことはとてつもなく大きい。
絶対忘れてはいけないこと。

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2009年10月17日

やさしいケニア人

ケニア人の友達(日本在住)から電話があった。
「久しぶり! 元気? 猫、どうした?」
ちょうどチャイが心臓発作をおこした翌日、飲み会が予定されていたのだけれど、ワタシは参加できなかったので、その理由を覚えていてくれたのだ。
「死んじゃったの」
「うそぉ! かわいそう、だいじょうぶ? 大変だったね」

数日前には、別のケニア人親友(ケニア在住)からもメールがあった。
彼はチャイに会ったことがあったので、「チャイのこと覚えてる? 彼は死んだの」とワタシが送ったメールのやりとりでの冒頭。
Pole sana pole sana, CHAI alikuwa mgonjwa???
知らなくてごめんね、お悔やみを言います。 チャイは病気だったの?
みたいなスワヒリ語。
みんなワタシのチャイに対する気持ちを理解してくれて、ココロから気遣ってくれる。
前に「ケニア人は割り切りが早い」と書いたけれど、これは自分に対してで、相手にもそれを強要するものではないのだ。その人の良い意味での強さなんだな、と思った。
やさしいケニア人のココロに触れて、嬉しくなってしまった。

たとえば極端な例だけど、今現在飢餓や戦争に苦しんでいる人たちの気持ちにワタシ自身がなってみることはすごくむずかしい。
それはきっとワタシの想像の域をはるかに越えることだから。
でも、その辛さを出来る限り想像して相手を思いやることはできるはず。
そこからナニカがつながっていくのだと思う。

ずいぶん前に曾野綾子氏の「貧困の光景」という本を読んだ。
一言で言っちゃうと、日本人が日本の中で「自分はもうダメだ。苦しい」と言うことなんて、ちゃんちゃらおかしい!世界を見よ!と言っているような内容なので賛否両論あると思うけれど、自分の置かれた境遇のことだけを考えるか、世界の中での自分を考えるかを気づかせてくれる本。
ワタシは世界を意識しつつも「でも自分はこういうことで苦しいの」と言いたいし、逆にワタシには理解できなくても相手の苦しみを少しでも理解しようという努力はしていきたいな、と思う。
やさしいケニア人のように。

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曽野 綾子

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2009年10月04日

やっと…

写真を飾りました。
昨日まではお骨のまわりにお花がいっぱいあるだけで、写真を選んで飾ることがまだ気持ち的にできなかったのですが、これでやっと少しは形になったかも。
まだ仮の場所なんだけれど。
091004.jpg
ココに延々書き続けることによって、自分自身を客観視し、自分の精神を保ててきたと思います。
実はもうちょっとワタシは泣き続けて凹みまくると思っていたのですが、こうして書くことで1つ1つの出来事を冷静に受け止めることができたような気がします。
仕事が忙しかったのも、ワタシにとっては良かったことのようです。
まだこうしてチャイの写真を見ると泣いてしまうけれど、チャイがいなくなってしまったのは、ずっと昔のような気がします。
明日からまたたまっている仕事に集中します!
ココに書く頻度が少なくなってきたら「元気になったんだな」と思ってやってください。
ひとまずこれでチャイのことは終了します。
今まで本当にありがとうございました!

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2009年10月03日

「看取る」ということ

今日はチャイの病院に行って、お世話になったお礼と、未開封で使わなかった介護セット(注射器とか針とか流動食とか)を引き取っていただきました。
担当先生がやさしく迎えてくださり、色々と話をしました。
その中で、ずっとワタシが引っかかっていたこと、最期を「看取る」ということについて。

ワタシの場合は、入院させたときに「今までの猫たちが病院で死んでしまったので、どうしようもなくなったとき、チャイは手元で看取りたい」と、前もって先生に伝えていました。

なので、最期は病院から引き取ってきたのだけれど、先生曰く「どんなにそのコを愛している飼い主さんでも、連れて帰って最期を看取ることができる方は少ないんですよ。すごく勇気のいることだから」って。

これは「看取る」ことを経験して、つくづくワタシもそう思いました。
覚悟を決めていたワタシだって、実際には想像以上に勇気が必要だったし、苦しむチャイを前に途中で逃げ出したくなりました。
耐えられなくなって動物救急に電話をし、発作を起こしたときに診ていただいた先生にたまたま相談できる機会に恵まれ、先生に勇気づけていただけたから乗り越えられたと思います。

確かにチャイは家に帰ってこれて安心はしたと思うし、ワタシが側にいることも認識していました。
でも「苦しい!カアチャン助けて!」と言われても何もできなかった。
今はこの時のチャイの様子がフラッシュバックしてきて苦しいです。
苦しいけれど、一方で、これは後悔ではなく、どうしようもなかったことと納得できるワタシ。
でもそう考えると結局チャイの気持ちをただ人間のワタシが勝手に解釈して、悩んだり安心したりしているような気がしてきました。

何が言いたいかというと、「看取る」ことだけが飼い主としての全ての責任を果たした行為ではないということ。
看取らなかったから可哀想だった、ではないということ。
どっちに転んでも、それは人間の感情で左右されてしまうことだから。
最期の瞬間ではなく、それまでの一緒にいた時間がいかに充実していたかが、そのコと飼い主との関係の中で一番重要だということを再認識しました。
病院で亡くなったロビやマロも決して可哀想だったわけじゃない、と思えるようにもなりました。

チャイが亡くなる前の日、英会話学校の先生の最後のクラスでした(突然、日本を去ることになった)。
その日は授業のあと、お別れ会が開かれることになっていて、ワタシもクラスメートとサプライズプレゼントを計画していたのだけれど、チャイのことがあったので、10分だけ教室に顔を出し、先生に事情を説明しました。
先生もすごく心配してくれたんだけれど、「英国では、そうなってしまうとすぐ“put to sleep(安楽死)”よ」と言った。
たとえばケニアでは、「死」に対し、みんなすごく悲しむんだけれど、割り切りや立ち直りがとても早いと思う。
それは、やっぱりエイズとか、死が身近な日常にあるからなんだろうなぁと思ったりする。
日本人が考える「死」は、もっと引きずるし、当たり前のことなんだけれど、当たり前と受け取られにくいような。
これは、お国柄だけでなく、個々の考え方でもそれぞれだけど。

うーーん、ちょっと本来書きたかったことと方向がずれてきたような(^^;
つまり、我が子を看取るだけが全てではない、ということ。
ワタシは今回チャイを看取ることができたけれど、それが絶対的なベストな方法ではないということ。
たとえば突然愛するコがそういう状態になってしまったら、看取る云々より、近づくお別れについての覚悟すらできてない状態。そんな状態で看取ることまでなんて、無理だと思う。

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2009年10月02日

あれから1週間

金曜日です。
チャイが突然心筋症になってからちょうど1週間でした。
「先週の今頃はこうだったなぁ」なんて思ったりもするものの、その日のことも、亡くなったのも、なんだかすごーーく昔のような気がします。
亡くなった日の朝1で病院には電話をして説明し、翌木曜日には病院に行くことを話していたのだけれど、昨日は行けませんでした。
仕事の締切がピークだったこともあるのだけれど、気が張っていた水曜日までとは違って、木曜日はどっと疲れちゃって、あちこち筋肉痛。
これは、酸素室をワタシの仕事机のうしろ、床にどーんと置いていたので、介護するのに床に這いつくばって変な姿勢でしなきゃだったせいだと思われます。
8時間おきの皮下注射や強制給餌など、すごい無理な姿勢でになっちゃったので、病院みたいに酸素室は立ったまま介護できるテーブルの上に載せればよかったかなーと後から思いました。
でも、床に置いて良かった点は、チャイの目線で一緒に横になれたこと、かな。
そんな肉体的な疲れだけでなく、昨日からは最期の数時間前からの様子がフラッシュバックしてきたり、日常生活の中のチャイとのルールに無意識にワタシが反応してしまったりが辛くて辛くて。
なので病院へは明日の土曜日行くことにしました。
今日は少し大丈夫になってきたし。
皮下注射セットや流動食など、まだ封もあけてないものが山ほどあるし、先生たちには電話ではおはなししたものの、きちんと感謝の気持ちを伝えたいので。
でも、ちょうど仕事があれこれたまっているので、仕事していれば忘れていられるので、ある意味助かっています。
で、仕事が一区切りつけば「この際、ケニアに行っちゃおうかな」なんてことも結構真剣に考えています。
こうしてちょっとずつあとは自分の気持ちを整理していくしかないんですね。
実際自分がこういう場面に遭遇し、つくづく色んなことを感じます。
今朝、ボストンにいるワタシの娘(正確には友達のコ)から大学生活の様子を知らせるメールがありました。
彼女は小さい頃からずーっとチャイのファンでいてくれて、8月にも帰国中の忙しい中、チャイに会いに来てくれました。
メールには「チャイにもよろしく!」とあり、ワタシはまたうるうる。
今週末には彼女にも知らせなきゃ、と思っていたところだったので、一足先にチャイが知らせに行ったのかもしれません。
本当にチャイはみんなに可愛がっていただき、幸せ者だったなぁと思います。

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